神戶線 須磨浦公園まで特急が走つていたころ

昭和45年12月ダイヤ改正時の日中の標準的なものです。
下り列車は平日ダイヤ、上り列車は日曜祝日ダイヤのものです。
項目の配列が最近のものと異なつてゐます。
延伸時分の欄が左から二列目にあり、最高速度が一番右の列になつてゐます。
一部の驛名がなぜかカナになつてゐます。理由は不明です。

昭和45年12月ダイヤ改正時の實畫像です。12分ヘッドの日曜祝日ダイヤのものです。

ヘタクソな寫眞でほとんど讀めません。車兩番號や兩數を表記した編成表が列車選別裝置の右下側にあるのがこの頃の神戶線の特徵です。

昭和49年12月ダイヤ改正時の平日ダイヤのものです。上りは三宮で2兩增結が行われる列車であり、停車時閒が長めです。
項目配列や表記がかなり變わりました。
延伸時分が無くなり、驛名が全て漢字になりました。
見出しが驛、到着、停車、發車になつてゐるのは、この頃だけの特徵です。
西宮北口の行に工夫が見られます。
昭和45年改正時と比較して園田の前後の運轉時分が長くなつてゐるのは高架工事による徐行運轉のためです。

昭和49年12月ダイヤ改正時の實畫像です。ちよつとはましな寫眞になりました。
これはC#5059の運轉臺の畫像ですが、當時の神戶線車兩の運轉臺に設置されてゐる列車選別裝置の取り付け角度は極端に左を向ひてゐるものが多く、右端にある最高速度欄はもちろん發車時刻欄も覗き見ることができなゐものがほとんどでした。それらの中でこのC#5008および5059の運轉臺は最もまつすぐに設置されてをり見やすいものでした。さうは言つても寫眞を見てわかるやうに、最高速度欄は隱れてしまつてゐます。

時代は一擧に進んで、平成7年6月改正のものです。
なほ、新開地以西と大開の營業再開はこの改正よりしばらく後のことです。
岡本が特急停車驛になりました。
夙川の停車驛以外ほとんど現行のものと變はりません。
須磨浦特急はこの次の改正(平成10年2月)で消滅します。