列車選別裝置化以前

現在見られる列車選別裝置と一體化された時刻表に變更されたのは、約半世紀も前になる昭和43年12月1日のことです。
それ以前は木の箱に細長い厚紙の時刻表を插したものが使はれてをりました。

上の畫像は寶塚線の普通のものです。
大きさは、縱が約159mm、橫が約170mm、奧行きが約32mmです。
また、重さは約770gです。
左側の丸い部分に懷中時計をはめ込みますが、私は持つてをりませんので空のままです。
なほ、これがいつから導入されたのかについては、まつたくわかりません。

寶塚線の急行です。

見てお分かりのやうに全驛が表示されておらず、主要驛のみの表示となつてゐます。
神戶線では確か
梅田、十三、園田、塚口、西宮北口、夙川、岡本、六甲、神戶
となつていたと記憶してゐますが、現物を所有してゐないので閒違つてゐる可能性はあります。

また、昭和43年4月7日の神戶高速鐵道開業後同年11月30日までの閒、乘り入れ列車でもこのタイプのものが使用されてゐました。
ただし、三宮以西の乘り入れ區閒は全驛が表示されてゐました。
須磨浦公園まで直通する列車では當然一枚に表示しきれませんので、二枚に分けてゐました。

時刻表部分の大きさは、縱が約143mm、橫が約52mmです。
現在阪神で使はれてゐるものと比較しますと、ほぼ同じくらゐの大きさです。阪神でも主要驛のみの表示です。